Pochipedia_Bone of war

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EX.負債論1:かんたんにユーラシアの帝国史をたどる。メソポタミアとインド▷ユダヤ▷キリスト▷イスラム教への道。

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https://en.m.wikipedia.org/wiki/DNA_sequencing

序🐾) アフリカから世界へ。20世紀末、本格化したDNA研究は、どのように「ヒト」が世界に広がったのか解き明かにした。河川や海の沿岸、あるいは山脈にそった地下水脈(雨と雪解け水)をたどるように。平原の長距離移動に適応した身体と、複雑なコミュニケーション能力を用いて、彼らは「寒冷地」から「熱帯雨林」そして「海峡の向こう岸(諸島)」に、その暮らしの空間を広げていった*。

アフリカからユーラシア全体、そして南北アメリカまで。この無数の集落と、それをつなぐ道(あるいは航路)のうち、最適なものが、のちに世界有数の「交易ネットワーク*」に発達してゆく。

  • *自然災害や気候変動、戦争、そして時代〃〃の需要(ほしい物の変化)によって、その居住空間は都市に発展したり、あるいはネットワークごと衰退→ときに放棄されて、それが遺跡として発見されたりする。

▶︎メソポタミア文明

チグリス川とユーフラテス川。2つの大河の岸辺で栄えた都市文明(メソポタミア文明)は、このような条件を全て満たしている。西が地中海、南にペルシャ湾(アラビア半島)、東にインドとパミール高原(東アジアにつながるルート)。北には北欧へとつづくコーカサス地方と。この地とは交易ネットワークの中心として理想的な場所でもあった。

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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%83%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%88

近代になってヨーロッパの考古学者たちは、この地を「肥沃な三日月地帯」と名づけた。大規模な農耕政策によってもたらされた莫大な富が、宮殿や神殿における権力の源になった。同時に、この土地は動乱の舞台にもなる。気候変動による農業への打撃と飢餓が発生したり、ときには精巧な道具を携えた軍団が登場し、そのたびに当時の権力システムがゆるがされた。

印欧語族=この土地から出発する多彩な言語が、中東全域とインド、地中海沿岸や北欧ロシアと広い範囲に散らばる理由とは、この地域でくりかえされた動乱が背景にある。その中心になった都市国家も1つだったことはない。アッシリア帝国バビロニア帝国。ペルシャ帝国。オスマン帝国など、軍事力を基礎にした武力外交が地域の交易ネットワークを支配していた。

▶︎インダス文明

その余波はインダス川(Hindus)を超えて、インド亜大陸にもとどく。ヒマラヤ山脈を背にした広大な耕作地帯の支配権が、同じように「いざこざの火種」になった。そのかたわら統治者たちは、地域の信仰(神話と考え方*)を取り込みつつ、あるいは共有しながら「階級制度=個人データ管理+監視システム(カースト)」に基づく統治に向かう。

  • インド哲学(ヴェーダ)で「宇宙をあやつる力=人々をあやつれる力」として、この価値観のもとで「理想の姿(手本にされる人)」になるために、人々は私利私欲を捨て修行するか、修行者たちをサポートすることが推奨された。→ヴェーダの世界観は、ヒンズー教や仏教に組み込まれ引き継がれた。

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https://en.m.wikipedia.org/wiki/Himalayas

軍事と、経済と、信仰(カースト)による統合政策=総力戦システムは、とうとうマガダ国マウリヤ朝(紀元前322-紀元前185)の時に、インド統一を達成させる。最期の敵対国を壊滅させたあと、アショーカ王は次にインド国内における「戦闘モード=総力戦システムの解除*」を試みる。無益な殺戮が禁じられ、積極的な宗教施設への資産寄贈が推奨された。

  • *国内情勢と隣国との軍事バランス、その変化の中で、彼の統治政策は約80年で途絶える。しかし、そのアイデアは東南アジア、東アジアの諸国に形を変えて取り入れられ、神殿建設ほか国民的な宗教観の形成がうながされた。

▶︎ユダヤ教_キリスト教_イスラム教の誕生

ユダヤ人の歴史は、A)メソポタミア(都市国家の近郊)から、地中海の東岸に移住した人々(ヘブライ人)の物語*からはじまる。この東岸地域はかつてカナンと呼ばれていた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%A4%E8%AA%9E
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https://en.m.wikipedia.org/wiki/Tower_of_Babel

B)その新天地は、ながらくエジプト王朝の政治的な影響下に置かれたが、紀元前1200年のカタストロフ=鉄器普及による戦乱の中で、彼らはその支配から離脱して、同地にヘブライ人+ユダヤ教徒*の交易国家(古代イスラエル)を建てた。

  • 出エジプト(Exodus)。長らく支配された年月の中で、彼らの結束力は「自らの歴史=ヘブライ人の歩んだ物語」の共有することで保たれた。この物語=旧約聖書であり、この物語を共有する人々のすべてがユダヤ教徒になる。

ところがエジプトに代わって、C)中東のアッシリア帝国が、その次にD)新バビロニア帝国、そしてE)ギリシャ帝国がこの地中海東岸に軍事力を行使。そのために、彼らの国家は継続的に主権を失いつづけた。さらに代わったF)シリア・セレウコス朝、そしてG)ローマ帝国との戦争の結果、ユダヤ教徒たちは古代イスラエルを国土ごとを失うという苦難に直面する*。

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https://commons.m.wikimedia.org/wiki/Wheat

H)ローマ帝国軍による支配下古代イスラエルで、ながらく人心を惑わせた容疑*で1人のユダヤ教徒が囚われ、断罪された末に処刑される。しかし、人々は、彼(イエス・キリスト)が「人々の苦難=不条理」をひきうけながら、さらに生き返った存在であるとして、彼とその仲間や家族のエピソードをクチコミで語り伝えた。

  • ユダヤ教の聖職者たちは、彼が「奇跡的な治療、苦痛や苦悩の解消、瀕死の者の蘇生、数千人の難民に対する緊急食糧の供給」などの行為について、神の名を借りてほどこしたと問題視した。

I)このエピソードは、ローマ軍の帰還兵や難民、あるいは商人たちによって地中海沿岸と北欧諸国に持ち帰られた。ひときわこの信仰は、ヨーロッパ諸国の市民(解放奴隷)の支持を集める。それがキリスト教のはじまりである。その影響力が大きくなるに連れて、権力者の下で、公文書化=地域版の新約聖書の編集や、国教化もすすめられた。

J)一方で、ユダヤ教は「悪いイメージ(排他主義や高利貸しなど)」で語り継がれて、これに遺伝や血統を連想させる「まことしやかな偏見」がくみ合わさった。国土を失ったユダヤ教徒は、世界各地のちりじりになった共同体の中で信仰を強固にするか、あるいはユダヤ教からキリスト教に改宗するなど生き方*を模索するものの、どちらもその血統を追跡され、プロフィールが特定されつづけた。*ユダヤ人=元ユダヤ教徒の子孫もふくむ。

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https://en.m.wikipedia.org/wiki/Star

K) 諸外国による軍事侵攻と、交易都市における帝国支配の歴史。この状況に向き合ってきたアラブの人々は、その支持をアラビア半島の商人出身・預言者ムハンマドに向けてゆく。彼のルーツとは、スパイス貿易(東南アジアとの航路)を主軸に、東ローマ帝国とも交易権を持っていたメッカのクライシュ族*だった。

しかし彼は、その一族と戦争してまで「イスラム教(多神教の廃止→唯一神*への帰依」を実現し、そしてイスラム信者同士の無利子制度(イスラム金融)をすすめながら、しだいに人々の信頼を勝ちとっていく。彼の死後、イスラム教は人選において主に血統を重んじる「シーア派」と、主に戒律の実践を重んじる「スンニ派」に分かれるが、その信者は地中海南岸から中東、東南アジアにまで拡大していった。

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https://en.m.wikipedia.org/wiki/Arabian_Sea

イスラム教は、シルクロード交易の東西ルート(ヒマラヤ山脈の北側)にも広がる。その唯一神(アッラーフ=ヤハウェ)と「メソポタミア東部における信仰*」が、その源流で1つであることから、商人のあいだにもイスラム教が伝え広げられた。西暦7-9世紀の中国・唐の時代には、交易を経由してイスラム教の文化と同時に、儒教や仏教施設とならんで礼拝所も建設されたようだ。

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λ=(∵`{預言者ムハンマドのルーツ=クライシュ族=スパイス交易=東南アジアとのつながりって知ったところは「ふりかえる」ではなく「たましぬぎ」たん。

つづく🐾"